ページ

Clip to Evernote ←このページをノートに保存する
Add to Google ←このブログをGoogleに追加

2010年11月3日水曜日

「虐殺器官」(伊藤計劃:ハヤカワ文庫)

久々に、一気に最後まで読み切った。
いわゆる、ゼロ年代SFといわれる作品。
いろいろ賞を取った作品なので、読みたいとは思いながら、タイトルが放つ強烈な臭いに気圧されてなかなか手に取ることができなかった。
グロテスクな表現も多く、かなり好き嫌いが分かれる内容。
9.11以降、やたらと安易にテロや内戦の話を味付け程度に持ち出すSFが多いので、はじめは、ああ、またか、という感じだったが、読み進むにつれ、そういう作品とは全く違うものだとわかる。この小説はむしろ、人間の生死について正面から食いつこうとしている。安易に銃を持ち出して、簡単に人が死ぬ様をあたかもリアリティを高めるためのスパイスのように使っているものたちとは明らかに一線を画している。

生きている状態と死んでいる状態の境目はどこなのか。意識がある状態と無い状態の境目は?
科学が進み、人間の脳が解明されていくにつれ、あいまいになってゆく境界線。この殺人は自分の意思によるものか、あるいは他人の意思なのか。任務の中で敵兵を殺しながら思い悩む主人公。
麻薬で正気を消された少年兵をてきぱきと殺す主人公。その主人公自身も、高度な麻酔技術とカウンセリングによって痛みや感情を調整されている。
母親の最期。母親がつながれている生命維持装置の停止を承認したとき。その一度だけは明確に自分の意思で母を殺したのだと、母の亡霊と語り続ける。
米軍特殊部隊大尉グラヴィス・シェパードが追うターゲットは、大量虐殺に必ず顔を出す謎の男、ジョン・ポール。天才言語学者だった彼が見つけた虐殺器官。
近未来SFらしく、ハイテクデバイスも続々と登場するが、それら一つ一つが生命とは何かを語るためのメタファーのようにつながっている。
そして、作品中何度も何度も「言葉」「言語」ついて繊細な言い回しで触れてゆく。SFという形式を取りながら‘いのち’と‘ことば’について熱心に語った文学作品として仕上がっている。

0 件のコメント:

コメントを投稿