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2010年12月23日木曜日

デジタル、1と0というメタファ

昨日、久しぶりに会った知人と食事をした。
その雑談の中で、コンピュータの中のデータの塊を「ファイル」と言い始めたのはすごいという話になった。データの塊ごとに名前をつけて記憶させたものに、ファイルという実在のもののメタファを与えたのはすばらしいと思う。
コンピュータがグラフィカルな表現を強化して、画面のことをデスクトップ、過去にディレクトリと呼ばれていたものをフォルダと呼ぶようになった。そうやって、単なるデータの塊に与えられたメタファのみを意識していれば、デジタルデータの羅列をどう処理すべきかはOSが判断してくれるわけだ。
そうやって、パソコンはどんどん使いやすくなった。
それは、一般のユーザーだけでなく、プログラマでも同じだ。HDDにアクセスするときにハードウェアを意識しているプログラマはほとんどいないだろう。低レベルまで意識して書いても、大方はOSのシステムコールを通じてファイル操作を行う程度。ファイルというメタファに対してアクセスする。
では、組み込み用のマイコンのプログラムを書いているときはどうか。そもそもOSが無いことが多い。当然ファイルというメタファも無い。
しかし、そこにも違うレベルのメタファがある、シリコンチップのフリップフロップ回路の羅列をレジスタという箱に見立て、マトリックス状に並んだデータにアドレス(住所)を付けて管理している。
いやいや、フリップフロップ回路や、AND回路、OR回路などと言う呼び名が既にメタファだし、そもそも、電圧の高低を1と0の数字で表して、電圧の変化をあたかも2進数の演算をしているかのように扱っている、デジタル回路そのものが既にメタファ。
そもそも、デジタルとはメタファから始まっているわけだ。そして、そのデジタルの上に高度に成り立っているコンピュータは無数に積層されたメタファの塊。
そして、そのメタファが積層されるたびに、プログラマ、エンジニア、マネージャー、アントレプレナー……、いろいろな人の思いが積み重なっていくのだなと考えると……
人が作った架空の世界だからこそ、余計に人を感じることができるような、なんとなくそんな気がする。

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