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2010年12月25日土曜日

「おれはミサイル」 #bookjp .

ゼロ年代SF傑作選」(ハヤカワ文庫)を読んだ。特別な理由があって読み始めたわけではない。
かなり前に、ロバート・F・ヤングの「九月は三十日あった」が読みたくて、この作品が収録されている「ジョナサンと宇宙クジラ」(ハヤカワ文庫)を買った。「九月は三十日あった」の主人公ダンビーの教師ロボットとの甘酸っぱい思い出を読んで、昔のSFはいいなぁ~と思った。
それから、その反動というか、逆に最近のSFってどんな感じなんだろう。そう思って、「虐殺器官」を含め、最近のSF小説というものをざっと読み漁っている。その中で、またスゴイ作品に出会った。
これもSFマガジンの読者賞を受賞しているそうなので、既に多くの方はご存知なのかもしれないが、「ゼロ年代SF傑作選」の最後に収録されている、秋山瑞人の「おれはミサイル」。
この作品には、人間は出てこない。どこかに人間がいるのかどうかも説明されていない。ただ空を飛び、ミサイルで敵機を撃ち落す。年老いた孤高の戦闘機(ミサイル母機)愚鳩(ドードー)と彼の翼の下に装填されたミサイルが15発、空を飛び続けているだけなのだ。
しかし、そこで展開されるのは男の生き様をめぐる男のドラマ。
一次任務にしたがって、自己の生存を最優先とし、空中給油を受けながらその一生を空の中で生きるミサイル母機。地上の存在すら否定し、次の作戦に向かうため大空を飛び続ける。
片や、その性質から如何にして敵を撃墜し、華々しい最期を遂げるか。死に様の哲学を議論し続けるミサイルたち。
戦闘機は必ず何らかの失敗によって最期を迎える。一次任務が自己の生存である以上、撃墜されるにしろ、老朽化によって墜落するにしろ、必ず失敗によってその一生を終える。
しかし、ミサイルは敵を己と共に爆死させることのみが任務である。したがって、成功によって死ぬことができるのだ。
そこにはセンチメンタルな生と死ではなく、男の生き様と死に様。
これこそ男のSF小説だろう。

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