ページ

Clip to Evernote ←このページをノートに保存する
Add to Google ←このブログをGoogleに追加

2011年1月9日日曜日

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読んだ。 #bookJP .

映画「ブレードランナー」の原作。映画のタイトルは、別の小説、ウィリアム・S・バロウズの「ブレードランナー」が採用されている。
最近、知人とロボットの話をしていたところ、ロボットの語源でもある戯曲「R.U.R.」(カレル・チャペック, 和訳:「ロボット」千野栄一訳,岩波文庫「RUR」大久保ゆう訳,青空文庫)で描かれているロボットは機械ではなく、化学的に合成された人工生物だということが話題にのぼった。
知人とわかれたあとで、ふと、映画「ブレードランナー」のレプリカントのことを思い出した。そういえばあれも金属製のロボットではなく化学的に合成されていた。映画館で観たことはないのだが、テレビで何度か見たし、ディレクターズカット版のDVDも持っている。
しかし、原作小説を一度も読んだことがなかった。映画が面白いので、いつもそれでいっぱいいっぱいになってしまい、原作小説の方に気が回らなかった。
そんなことを考えていると急に、原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(フィリップ・K・ディック, ハヤカワ文庫)を読んでみたくなった。かなり古い小説(1968年)だが、アマゾンから買った文庫本を見ると、2010年11月25日付けで57刷となっていて、いまもかなり売れていることがわかる。
読み進むたび、映画を見ただけではわからなかった細かな設定に気づく。かなり濃厚な作品である。
一度さらっと読んだだけでは、理解し難い箇所も多いのだが、もう一度読み返すとこの世界観に引き込まれてしまう。
外観が人間とそっくりで、人間と同じように話すアンドロイドと人間の違いは、他の生き物に感情移入できるかどうかだという。作品中、この設定は一貫していて、人間は共感ボックスという機械で感情を共感できる。更には、積極的にその装置で感情を共感するマーサー教という宗教に入信しているのだ。更に、感情豊かで道徳的であることを隣人にアピールするために動物を飼っている。
この、あまりに突飛な設定は映画では説明されていない。しかし、感情移入と、マーサー教、人間的であることをアピールするためのペットという設定を理解して読むと、極めて深みのある作品であることが理解できる。
ローゼン社製ネクサス6型であることが既にわかっているはずのレイチェル・ローゼンを生きていると感じるのは、リック・デッカードが人間だから感情移入しただけなのだろうか?
レイチェルはリックと一夜を共にした後、リックがバウンティ・ハンターとしてアンドロイド狩りができなくなったと知って、自分の不貞を語り始める。作中リックは最後まで気づかないが、時系列的に考えればレイチェルが不貞を行う時間はなかったはずだ。しかもレイチェルは、激情するリックに「いまからきみを殺す」と言われ、一瞬バッグの中の自分のレーザー銃をさがすが、取り出すのをやめ、レーザー銃を抜いたリックに対して「後頭部を狙って。首の付け根を」/「おねがい」と言う。作中に説明は一切書かれていないが、おそらくレイチェルはリックの仕事のために嘘をついているのだ。しかも、レイチェルはリックの買った黒山羊に激しく嫉妬する。自分がリックにとって、山羊や、リックの妻の更にその下の存在であることを実感して。
レイチェルは、明らかにリックに対して深く感情移入している。
更に、作中1行だけではあるが、リックが咄嗟に言いかけた言葉を修正する際に、“脳の電路がブーンとうなり、計算し、処理する”と、記述されている箇所がある。これは単なる比喩だろうか? 作中、この1行を除いては一貫してリックは人間として描かれている。単に読者の気を引くためだけの理由で、フィリップ・K・ディックはこの1行を書いたのだろうか?
もしかすると、リック自身もアンドロイドなのではないだろうか。その疑問は最後まで解かれることはない。「アンディー(アンドロイド)がペットを飼ってるなんて話を、きいたことがあるか?」という問いに対して、リック自身が答えている。「おれの知るかぎりでも二度あった。だが、そんなことは稀だ。どういうわけか、たいがいはうまくいかない」
リックがはじめに飼った羊はある日突然死んでしまった。その日からは隣人に悟られないように飼っているのは電気羊だ。大金を出して買った黒山羊は…… リックがペットをうまく育てることができる証はどこにもない。
リックが自分にフォークト=ガンプ検査を行うシーンが一度だけ書かれている。本来、フォークト=ガンプ検査はアンドロイドを見分けるためのものだが、このとき、リックは、自分がアンドロイドに感情移入してしまっていることを確かめるために使う。検査器は人間がアンドロイドに感情移入していると思える結果を返すが、この検査器、その直前に、複数のアンドロイドたちが、彼もアンドロイドだと指摘するフィレル・レッシュに対しても人間であるという結果を返している。
作中、フォークト=ガンプ検査は、女性型のアンドロイドを2度見分けただけで、男性型のアンドロイドは一度も見分けていない。フォークト=ガンプ検査で、本当にアンドロイドと人間を正しく見分けられるのだろうか。
マーサー教、そして教祖ウィルバー・マーサーの正体をアンドロイドが突き止める。
誰がアンドロイドで誰が人間なのか。そもそも、この地球に人間は存在するのか、あるいは自分を人間だと思い込んでいるアンドロイドだけなのか。
作品のタイトル「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の夢とは、どうやら「夢うつつ」の夢ではなく「夢と希望」のほうの夢のようだ。
作中、リックは追っているアンドロイドの資料を眺めながら、“アンドロイドも夢を見るのだろうか”と自問する。そして“見るらしい”理由として、雇い主を殺してまで、奴隷労役のない、より良い生活を求めて地球に逃げてくることを挙げている。
自分の飼っている羊が死んだとき、アンドロイドもリックのように電気羊を飼いたいと思うだろうか。
そう、アンドロイドは電気羊の夢を見るのだろうか?
映画「ブレードランナー」よりも、数倍の重さで謎が読者を問い詰める。
外観も、内面も人間とそっくりな、極めて精巧なアンドロイドが出来たとき、人間とアンドロイドの違いとは何だろう?
心を持って、人間を愛して、人間に嫉妬する人間とそっくりなアンドロイドは人間と何が違うのか。
SFファンに限らず、人間とは何がが気になる人にとって、一度は読んでおくべき作品である。

0 件のコメント:

コメントを投稿